
- 二階建ての代官屋敷

- 庶民の法廷 お白州
かって町田や相模原方面から江戸に、野菜や炭などの農産物を運び、帰りに米や油を持って帰る生活道路、もしくは商業道路があり、
つくいみちと称された。現在の世田谷通り、津久井道、鶴川街道、町田街道である。
今回のウォークは「この道を観光資源にしたい」と企画された。
主催:津久井道ウォーク実行委員会、共催:川崎市経済労働局商業観光課
三軒茶屋から相模湖まで、全長60キロを6回に分けて歩く。
第1回は三軒茶屋~登戸(約12㎞・約5時間)。優雅な桜ウォークだったが、早歩きだったのでシニアの参加者50人は楽しみながらも「疲れた」を連発した。
ルート
三軒茶屋不動尊道標前―世田谷代官屋敷(郷土資料館)―NHK技研―(
仙川)-砧小学校―(
野川)―次太夫掘公園(昼食)―稲荷塚古墳―慶元寺(喜多見氏陣屋跡)-多摩水道橋(
多摩川)―登戸駅
道中見聞
集合場所の
最勝寺教学院(
目青不動尊)には大久保家(彦左衛門)の墓があった。
目青とは天上界と地上界の間にたなびく青い雲の色に基づく。また五色不動の一つでもあり、
目黒、
目赤、
目黄、
目白の不動尊は東西南北中央の5方向と色を合わせたものである。礼儀:山門の入出時は帽子を取り会釈をする。
「
大山道」と彫られた古い道標前からスタート。静かな商店街である。環七を越えて、吉良家ゆかりの常盤塚、円光院などに寄った。
代官屋敷の前は
ボロ市通りである。ボロを編みこんだ丈夫なわらじを売った事がボロ市の起源である。
代官屋敷は小バルコニーのある2階建。
お白州(おしらす:法廷)の玉砂利は江戸時代のもの。「この上に座らせられたのね」「無罪の人もいたでしょうね」
砧小学校の石塀の
玉砂利は多摩川から運ばれた。静かな民家園の
次太夫掘公園で昼食。
慶元寺(喜多見氏陣屋跡)は広大な敷地で、長い松並木の参道は見事である。喜多見氏は江戸という名字だったが、江戸幕府が開かれた時に喜多見に改名した。
のどかな畑や新しい住宅の道中、「籠屋」という酒屋さんに寄った。全国の酒の試飲ができる。次に寄った「都せんべい」のザラメせんべい216円は昨日まで200円だったのではなかろうか?(当日消費税が5%から8%にUP)
最後に1504年建立の玉泉寺を訪ね、東京に別れを告げ
多摩水道橋を渡り
登戸へ。
多摩川河川敷で整理体操をして自由解散。