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津久井道中スタコラ膝栗毛 2

取材日 2014年04月15日(火)

義経由来の二枚橋
義経由来の二枚橋
山口谷戸の石碑群
山口谷戸の石碑群
 津久井道ウォーク2回目は登戸~鶴川(約10.5km・約5時間) 
前回の世田谷区と違って、川崎の多摩区と麻生区は都市化の度合いが緩く昔の津久井道をしのばせる石のお地蔵さん、庚申塔、江戸時代からのお店などがたくさん残っていて歴史話もてんこ盛りだった。新芽の浅緑、鳥のさえずり、ひんやりした風のなか、相変わらずの早歩きで、坂道が多かったが、皆さん慣れたのかあまり疲れなかったようだ。低い山波の新緑と桜に歓声を上げていた。
ルート
登戸から鶴川まで小田急線沿いの旧道を主に歩いた。
道中見聞
登戸職人の町、繭や木材などの商売の中継地として栄えた。江戸時代から続く店(吉沢石材店、石橋酒屋等々)が残っている。現在、柏屋は料理屋だが、ナマズ料理が有名な宿屋だった。現在の商店街のシャッターにはナマズのペンキ絵が描かれている。榎戸大道通りには饅頭屋、麹屋が残っている。大規模な区画整理が行われており、現存する津久井道が失われゆく事は誠に残念である。
生田観音寺は1624年に山伏が草庵を結んだのが始まりである。正観音の御開帳が行われており、このウォークのガイドの三谷さんの観音経を聞きながら皆でご祈願した。新芽がうすく彩る銀杏樹の下で筍の煮物、菓子、茶のお接待が有り難かった。
読売ランド駅前付近の義経由来の二枚橋は、稲田堤の指月橋、東百合丘の弁慶の鍋ころがしなどと共に鎌倉時代のロマンをぐっと身近に感じさせた。
弘法の松公園で昼食をとり、丹沢山系を眺めて江戸時代の旅人気分を味わった。
新百合ヶ丘山口谷戸の石碑群はその道が津久井道という証拠である。
柿生の旧家の門にオオカミの護符が貼ってあった。狼=大神という説がある。
神奈川と東京の境の道標を越えて町田市に入り、日蓮宗・妙行寺(みょうぎょうじ)にお参りし、体操をした後、鶴川駅にて解散。
昭和のお姉ちゃん達の歴史話 ~今をときめく新百合ヶ丘を通過しながら~
「私の通った中原区の高校には南北の区から生徒が来てて、南からの子は都会風だったけど、北からの子はあの頃、山と畑の多摩区からって感じだったわよ」
「東京にお勤めしてた頃、多摩区って高級住宅地なんだよなって言われたけど、麻生区が分離して、又元の多摩区になちゃったわ。でも、のどかで好きよ」
登戸 善立寺のしだれ桜

登戸 善立寺のしだれ桜

旧家のオオカミの護符

旧家のオオカミの護符

東京と神奈川の境の道標

東京と神奈川の境の道標

川崎市多摩区、麻生区、東京都町田市
勝野井 央子
シニアリポーターの感想

 前回に増して多く史跡を見、歴史を聞いた。
登戸の住民なので小田急沿線は歩きなれた町や道である。
それゆえ書く項目を絞り切れなく、説明も省いてしまった。
観音寺のご祈願の時、首にさぁーと涼しい風を感じ、とてもとても素直な気持ちになった。親を好きになれない私であるが、「癖の強かったお父さん、お母さん、そして私もどうぞお救いください」と仏様に祈った。ふしぎな有り難い功徳であった。