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再発見!昔 JR南武線に砂利運搬車両も走っていた

取材日 2012年05月15日(火)

写真①引込線跡の道(右)と宿河原駅(左)

写真①引込線跡の道(右)と宿河原駅(左)

写真②引込線を示す地図

写真②引込線を示す地図

写真③新明国上教会正面

写真③新明国上教会正面

 同僚リポーターのI氏に誘われ、JR南武線宿河原駅の北側にある湾曲した道を見に行った。少年時代「鉄ちゃん」だったらしいI氏が言うには、昔、多摩川の砂利を運んだ引込線の跡とのこと。この周辺をよく散策するが歴史的道路だとは露知らず、改めて南武線の生い立ちを調べてみた。    
南武線は、かつて富国強兵、殖産興業に突き進んでいた頃、コンクリートの原材料として多摩川で採れる砂利を運搬するなどのため、昭和2年に武蔵野南部の川崎ー登戸間を縦断する初めての鉄道(私鉄南武鉄道)になった。この時、多摩川の砂利を宿河原から川崎港のセメント工場に運び込むために敷設されたものが引き込線だったのである。写真②に見るように、鉄道が弧を描いて多摩川河川敷に入っているが、積込場所は現在の「NEC宿河原グランド」辺りだった模様。このような砂利採取の引込線は、現在の矢野口駅近くにあった是政多摩川駅にも敷かれていたという。しかし、大量の砂利採取でアユの産卵床が壊されたり、農業用水が枯れたりしたため、昭和19年に旧国有鉄道(国鉄)に移管された時に引込線は廃止された。16、7年の寿命だったことになる。    
南武線は増大する軍需産業で働く労働者の通勤にも便宜を図っていた。沿線の農村が市街化するにつれ、武蔵新城や武蔵中丸子(現在、廃止)、日本ヒューム管前(現在、津田山)、久地梅林(現在、久地)、宿河原不動(現在、廃止)などの駅も生まれている。日本ヒューム管前駅とは、日本ヒューム管(株)の工場が現在のマックスバリュ(スーパー)辺りにあったためで、ここには留置線も敷かれていたという。宿河原不動駅は、宿河原と久地の中間にあった。実はこの駅、新明国上教会という宗教法人の参詣者の便宜を図って建てたものだとか。今、この教会の三重塔が上り南武線からは右側に見えるが、ここは大正元年に神道に基づいて開祖し、戦前までは全国から大勢の信者が訪れていた。取り分け祭礼には駅から延々長蛇の列になったという。しかし、敗戦で一変し、駅も廃止され、今はその跡さえ見当たらない。
(参考資料)   「南武線物語」、「南武線いまむかし」
中村逸
シニアリポーターの感想

JR南武線の宿河原駅にあった引き込み線の話を機会に、NHKの番組「ブラタモリ」よろしく、あらためて地図と年表を抱えて歩いてみた。川崎を縦断して走る南武線には、日本の近代史の縮図とも思われる歴史がまだまだ埋もれていそうだ。