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“古代の橘樹(たちばな)”って、どこ?

取材日 2012年05月26日(土)

影向寺本堂
影向寺本堂
この地下に倉庫(正倉)跡を保存
この地下に倉庫(正倉)跡を保存

「どこ?」の疑問に答え、一人でも多くの方々に歴史的意義を知ってもらうため<史跡めぐり“古代の橘樹をゆく”>が開催(10回目)された。この史跡めぐりは「橘樹郡衙推定地保存活用事業」の一環として実施されている。(主催:川崎市教育委員会)講師は、川崎市教育委員会文化財課の課長補佐服部隆博氏、主任栗田一生氏と小柳津貴子氏。今回の史跡めぐりには、高津区役所が推進している「たちばな農のあるまちづくり推進事業」とも連携して、直売所の案内も併せて行われた。参加者は応募抽選で当たった定員30人のシニア世代が中心。

 

<行程>

橘出張所前集合(溝ノ口駅からバス「橘出張所前」)

影向寺橘樹郡衙推定地子母口富士見台古墳橘樹神社子母口貝塚(解散)

(約2.5㎞・解説時間も含み、約3時間30分)

 

講師から説明を聞いて、いよいよ小旗(影向寺の古い瓦をデザイン)を先頭に出発

<見所>

850m(徒歩約25分)

影向寺(ようごうじ)南関東地方屈指の古刹

創建は7世紀後半の白鳳時代と推測され、古代橘樹郡衙と非常に密接な関係の寺であったようだ。本堂である薬師堂や本尊である木造薬師如来両脇侍像、太子堂の木造聖徳太子立像といった多くの文化財、霊石「影向石」などがある。

300m(徒歩約10分)

橘樹郡衙推定地(たちばなぐんがすいていち)古代の川崎市役所

高津区千年の丘陵上に所在している古代官衙遺跡。平成8年、宅地開発事業に伴う発掘調査で東西に規則的に並ぶ総柱式掘立柱建物跡が発見され、古代橘樹郡の役所跡(郡衙)の一部であると注目。最も古い7世紀後半の倉庫(正倉)跡を地下に保存し、たちばな古代の丘緑地として整備している。

600m(徒歩約20分)

子母口富士見台古墳(しぼぐちふじみだいこふん)

橘樹神社が建立された場所に漂着した弟橘媛の衣服や冠を納めた御陵と言い伝えられている。径約17.5m、高さ約3.7mの円墳である。

100m(徒歩約5分)

橘樹神社(たちばなじんじゃ)

日本武尊が東征の際、荒れ狂う海を鎮めるために入水した弟橘媛の身に着けていた衣服や冠がこの地(子母口)に流れ着いたため、そこに社を建立して日本武尊と弟橘媛を祀ったのが始まり。
350m(徒歩約10分)

子母口貝塚(じぼくちかいづか)多摩丘陵最古の貝塚
今から約8,100年前の縄文時代早期後葉の貝塚。発見された土器「子母口式土器」は、日本考古学の中でも著名な土器の一つ。海の幸の恩恵を受けて暮らしていた縄文人たちの生活を想像することができる。

解散地で、服部隆博氏が「短い時間ではありましたが、歴史ロマン溢れる“古代橘樹”の地に暮らした先人たちの心に触れていただけましたでしょうか」と挨拶。

移動中でも活発な質疑応答が飛び交う参加者たち、「歴史が好きなので初めて友達と参加しました」「秋の開催にもまた、参加したい」というご夫婦など。

 

参考:古代の橘樹郡(橘樹郷、高田郷、御宅郷、県守郷、駅家郷の5郷)

問合せ先:川崎市教育委員会生涯学習部文化財課 電話044-200-3306

     「史跡めぐり“古代の橘樹をゆく”」は毎年5月と11月の2回開催

 

 

子母口富士見台古墳

子母口富士見台古墳

橘樹神社

橘樹神社

子母口貝塚

子母口貝塚

岩田輝美
シニアリポーターの感想

「川崎市のほぼ中央に位置する高津区千年や子母口周辺そのものが「博物館」だと思った。古代“橘樹”の歴史に触れて本当によかった」