今だから話せるけれど、中々口に出すことはできなかった」と話すKさんに出会えた。それは、数奇な運命を辿った母親、義兄達の事だった。 Kさんの母親は「嫁として妻として長かった戦争の中を生きぬいた」と話した。
父の死
Kさんは7人義兄弟の下から2番目。昭和14年生まれで福島の片田舎で育つ。「爆弾の被害はなかった。父の先妻は息子4人、娘1人の子供を残し病死。養育に困っていた父の元へ母は嫁ぐ。しかし私が生まれて間もなく父は脳梗塞で42歳の若さで他界」
「年頃の息子4人は政府の移民政策もあって、海外で働き勉学にも励んでいた。家に残されたのは母・病気がちの姑・低学年の義姉と私。母の実家は心配して帰って来るように迫るが、姑や小さい義姉を残しては帰るわけにはいかないと1日1日を精いっぱい生きぬく」
(昭和初期は国土の狭さと人口数の多さから政府自ら移民政策に力を入れている。
中南米に比べ中東アジアは対偶も良かった。)
義兄4人が出兵
まさかの太平洋戦争が始まった。「フィリッピンで働いていた長男、次男、三男はそのまま出兵。中国へ渡った4男も奉天の学校から学徒動員で出征を余儀なくされた」
(無謀な戦争は2年目にして死傷者を多く出し、敗戦へと突き進む。)
「終戦直前。夜中に雨戸をドンドンとたたき電報が届く。やっぱり来た!雨戸を開ける前に声を上げ絶句。あの時の三人の戦死の報せの音を今でも思い出す」
「母は息子たちの戦死を受け止めることが出来ない中、姑が病死。四人の葬式を出さなくてはならない。葬式は二人ずつ二回に分けて出す。涙も出ない」
「復員した四男の兄は国立大学に入り直し教師になる。数年後にうつ病を発症。雨戸の小さな穴から覗いては敵が来ると怯える日々。戦争の後遺症で一生働けない」
母の2度目の結婚
「貧しく母は、月が照っている時は夜中まで身を粉にして働く。いつもぼろの着物、髪の毛は真っ白、歯は抜け同じ年齢の女の人よりずっと老けていた。授業参観日そんな母を見るのが辛かった。周囲も心配して、数年後、奥さんを亡くした伯父と結婚し、私とは16歳離れた弟が生まれる」
Kさんはこの環境から逃げだしたく勉強に力を入れた。今でも入試困難な美大に入学。誰よりも真っ先に喜んでくれた伯父は、お祝いに鳥獣戯画の冊子をプレゼントとしてくれた事は、忘れられない良い思い出ですと締めくくった。