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戦争体験記 23  生まれた事

取材日 2026年05月15日(金)

    感     謝

    感     謝

   おかあさん、守るよ!

   おかあさん、守るよ!

   ミカン食べないなんて

   ミカン食べないなんて

 自分が生まれ今生きていることに感謝していると話すHさんに出会えた。 H さんは、東京育ちで家族6人姉妹の末っ子、長女とは15歳離れている。 自分は1945年終戦の年に生まれた。その事に運命を感じ感謝しているのだと話した。更に上の姉(三女・四女)のつらい体験についても語ってくれた。
    

この時の日本の状況
 1944年南方から入って来る僅かなニュースに、国民は勝ち目がないのではと思いつつも陸軍の「勝つ」の一言に、すべてを我慢しお国の為に戦う毎日を過ごしていた。 敵軍は降伏を促すも、陸軍は応じることなく戦争を続けた。その結果無差別攻撃を招いた。
 
  自分は3月東京空襲の翌月4月に生まれた。 厳しくなる戦争に、上の3人の姉は学童疎開を強いられた。3月10日の大空襲の時、私は母のお腹の中にいてまだ生まれていない。 母は私を出産する1ヵ月前に東京大空襲にあった。燃え盛る戦火を潜り抜け、埼玉に4女5女の姉、叔父と身重の母で避難。家族は、船橋に移動1カ月後に私が誕生。物資の乏しい中の出産育児は大変だったと思うよ。 叔父は青森から食料を届けに来ていて、東京大空襲に遭遇した。それからは何かと家族の面倒を見てもらったらしい。



  三女の姉は終戦後学童疎開から帰ってきた直後につらい体験をしていた。みかんをおいしそうに食べている姉妹たちを見て、すぐにその輪に入り込めなかった。疎開で家族と引き離された寂しい毎日、せっかく帰って来たが自分だけは「はじきもの」と心を痛めた。いつでもミカンを見るとあの時を思い出す。だからもうみかんは食べたくないと決めていたらしい。姉は大人になっても食べなかったが、私は何故かなと思いながらも深く考えなかった。ミカンを口にしないその本当の理由を近年になって語ってくれた。(学童疎開は初等科3年・8歳から6年・12歳が対象。)


  四女の姉は昭和12年に生まれた、病弱で満足な治療も受けられず戦争の為治療も中断。元気になっても外で遊べず、家の中で座って過ごす毎日だった。大した医療を受けさせてあげられなかった両親は不憫だったと思う。

  
砂田 紘子
シニアリポーターの感想

3月4月5月とあちこちで戦没者の慰霊祭が行われる。命の尊さを学び知るが、中々いかされない。「生きる」への感謝が響くといいなと思う今日だ。