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川崎最古の伝統校はここに!!

取材日 2012年11月17日(土)

140周年記念シンボルマークとキャラクター
140周年記念シンボルマークとキャラクター
記念式典プログラム表紙
記念式典プログラム表紙
  

 向丘小学校(川崎市宮前区平1-6-1)の壁には「うけつごう・140年のバトン・みんなで歩もう・夢に向かって」のスローガンが大きく掲げられている。

当日は多くのお客さんを招いて子どもを中心にした140周年記念式典。子どもの手によるシンボルマーク未来(みらい)ちゃん。イメージキャラクターに向(むか)ちゃん丘(おか)ちゃん。これらのマークは校舎のいたるところで見かける。体育館や校舎は児童の作品で美しく飾られ、周年行事に華をそえる。

 

式典で江間薫校長先生は「明治5年から大正・昭和・平成と140 年の時を経て、地域に愛され育てられてきた向丘小学校は、現在全児童数が946 名。川崎最古の歴史を綴る伝統校。」と話す。会場は約1200名の人で熱い雰囲気に包まれている。各学年の全児童の発表会、最後は全校合唱「おめでとう向小140年」で締めくくる。

 

歴史1  明治時代初期は現在の地名や、小学校と言う語句もない。明治6年橘樹郡(たちばなぐん)(現在の長尾地区辺り)に3つの学舎があった。呼び名も学舎→学校→高等小学校→尋常高等小学校→国民学校→小学校と変わる。長い歴史には第一次戦争・太平洋戦争の大きな戦争もあった。その間にはいくつかの仮教場・分教場の創設・廃止・統合がある。この過程をへて向丘国民小学校が向丘小学校の名前になるのは終戦の翌々年である。

 

歴史2  古いくすの木・二宮金次郎像・百周年記念碑などがある。昭和初期は二宮金次郎の像を小学校の校庭に建て、勤勉家の象徴とする。現存は数少ない。(川崎市では9校)

式典に出席されていた長老の山田さんに、戦争の頃の学校や近辺の様子を聞いた。「ここは川崎市の南部の小学生の疎開先。終戦後間もないころは、児童数は60名くらい。次第に増え62部隊(兵舎)を校舎として使用。物がない。食べ物がない。」と思い出は尽きない。

 

140周年の記念誌「尋常小学向丘讀本 巻一」や子どもたちの地域学習資料集「わたしたちのまち向丘」には、その歴史が一目でわかるようにつづられ素晴らしい出来栄え。更に文章の末尾では「素敵な町の人との出会いを大切にして、新しい良さを見つけ夢に向かって行こう」と子供たちに呼びかけている。

作品展示にも一工夫

作品展示にも一工夫

二宮金次郎像

二宮金次郎像

百周年記念碑

百周年記念碑

砂田 紘子
シニアリポーターの感想

 140周年記念式典までに何回か学校へお邪魔し、行事に熱心に取り組んでいる姿を見かけた。小学校と言う当たり前の語句でさえ何回か書き換えられたことを知る。
 歴史はこれからも脈々と受け継がれることだろう。

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