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天文学をリードする人材を輩出!

取材日 2013年10月20日(日)

ブリキ製筒の手作り望遠鏡、「川天」発足時メンバーの故原田光次郎作

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渡部博士、彗星観測のむずかしさや失敗談を面白おかしく講演

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小ゑん師匠の一席、織姫ひこ星の恋物語

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 「宇宙と緑の科学館」2F学習室で「川崎天文同好会60周年記念」の式典と記念講演会が行われた。荒候の日、160名を超える会員、関係者が集まった。通称「川天(かわてん)」は天文の分野では知られた存在であり、日本アマチュア天文界の草分け、多くの専門家を輩出している。式典では会の歴史と沿革が紹介された。
 
 
 

 1948年(昭和23年)川崎市の北部、細山で東京天文台の*黄道光試験観測と流星の写真観測が行われた。西生田小学校教員であった箕輪敏行氏が、この観測に協力したのをきっかけに、9人のメンバーで発足した。終戦間もない頃、細山(近隣に現在読売ランド)では満天の星が目視出来た。
 現在の会員は約120名。小学生から90歳代まで、夜空を楽しむだけの人や師と仰がれる人など、幅広い人たちが所属している。母の手にひかれ、観測に通っていた少年は「大きくなったら天文学者になる」と言っていた。後に国立天文台長になり、ハワイの「すばる望遠鏡」設立プロジェクトの中心人物となった小平桂一博士だ。

 

 
 現在の活動拠点は細山にある「川崎授産学園」の天文台。広大な面積を有する福祉施設内に、天体ドームが設置されている。車椅子の人でも観察ができるように考案された昇降床付きの天文台は箕輪敏行氏の寄贈による。大正7年生まれの氏は療養中であり、今回の式典には列席されていないが、多大な功績が来賓から述べられた。同授産学園の土地の寄付、宇宙と緑の科学館への望遠鏡寄贈など、後世にも名を残し引き継がれていく。
 
 

 

 「川天同好会」は同人による合議制により運営、毎月1回の例会がある。授産学園設立翌年から行われている年4回の「市民天体観望会」は124回、延べ人数14,762人が参加している。自由参加で子どもからシニア世代まで、1回に100~200人集まる。会員が持参した望遠鏡で月面、惑星などを見せてくれるほか、「星空解説」や「天文童話」もある。
 この秋は11月9日(土) 午後6時30分~8時00分、秋から冬の星座・アイソン彗星の解説その他。
 詳しくはhttp://www.kawaten.com/page7.html

 成瀬駅前に資料室も有している。川崎天文同好会の発足メンバーであった故森久保茂、故原田光次郎両氏のご遺族寄贈の天文書を中心とし、会員寄贈資料、会員著作、他の同好会誌などからなる
隔月で会報誌「星」も刊行されている。入会希望を含め詳しくは上記HPで。


 記念行事は第2部へと進み、国立天文台副台長渡部潤一先生の講演「大彗星あらわる~アイソン彗星をみよう」と、アマチュア天文家として著名な落語家、柳家小ゑん師匠の「おもしろ星空落語」の一席が行われた。どちらも抱腹絶倒で会場は沸きに沸いた。



*黄道光:日没直後西の地平線から天頂に向かう、ごく淡い光の帯で暗い空でないと見るとができい。  

生田緑地「宇宙と緑の科学館」 最寄り駅小田急線「向ヶ丘遊園」市営バス「生田緑地」下車
石渡一美
シニアリポーターの感想

 夜空を眺めるだけしかできない者でもウエルカムな会だそうだ。アマチュア研究者などマニアックな会員も多いようだが、知識がなくてもきらめく星は見られると、この会に誘ってくれた友人は話す。観測会は地方に出向く企画も毎年行われている。ちょっと敷居も高いが楽しそう。会員同士の世代を超えた交流は、相当に勉強になるかもしれない。

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