
- 野津田公園 上の原

- 大きな邸宅の参道です
かつて八王子への絹の道、町田街道(町田市と八王子市 12km)を歩いた。
雨がパラついたりした若葉寒むの天気だったが、つつじを始め初夏の花々が明るく咲き、ホトトギスが盛んに鳴く古道や街道を進んだ。川崎市より広々していて街道沿いの数々の大きなお屋敷が印象深かった。12kmというのは直線距離で、実際は鎌倉古道など旧道の山越えをしたり、車道の脇を長時間ひたすら歩いたりと、中~上級のかなりきついコースである。参加者は終盤、膝がガクガクして疲れた様子だった。
ルート
小田急鶴川駅―自由民権資料館―華厳院―野津田公園上の原―農村伝道神学校―円福寺―図師熊野神社―桜美林大―中村不動―福生寺―京王多摩境駅
道中見聞
町田街道沿いには立派な屋敷が多い。山の斜面に長い階段をつけ家が建っているが、新しい宅地だけでなく昔から住みなしている感じがした。
亀の台座に乗った碑がある
慶性寺(けいしょうじ)や周りがすっかり開発されてぐっと視野が広がる
安全寺(片平 修廣寺の末寺)に寄った。
町田市立自由民権資料館:幕末から明治初年に外国の文化や思想がどっと入り、明治天皇は
公儀輿論政治や
立憲政体を約束していたが、10年たっても実現しなかった。石阪昌孝ら地方役人などの要職を担った豪農商たちは、憲法を創り、国会を開いて国民の政治参加を実現するためには、それにふさわしい政治的見識をはぐくむ事が大切と考えた。集会・結社・思想・言論・出版の自由を求め、国家に抵抗したのが
自由民権運動だった。町田と厚木が拠点だったが、やがて町田に集結された。その豪農家の屋敷跡に建てられた資料館である。今に至る日本政治の始まりの激しいうねりを感じさせる展示の一角に、北村透谷と石阪昌孝の娘、美那のロマンスの展示を見た。
華厳院の聖観音菩薩は美しかった。
鎌倉古道の坂はその昔、馬にわらじをはかせて登ったという。
野津田公園 上の原の白、黄、青の花が点在する燃えるような黄緑の草原に歓声をあげて昼食。
そのまま山の旧道を行くと土に親しみ聖書を学ぶ
農村伝道神学校があった。
円福寺に存在するという
秘仏は住職さえも見たことのないとは?
熊野神社の板彫刻は野ざらしなのが惜しまれる。
桜美林大学は
オべリンと発音するのだ。
日枝神社、
中村不動などに寄りながらひたすら歩く。
御嶽神社の鳥居の
ゴボウしめ縄はなるほど先が細い。
札次神社で整理体操をし、
京王多摩境駅で解散。