
- 新道から見た城山

- 薄靄の津久井湖
ドクダミの白い花が梅雨入り間近を知らせる曇り空の下、相模原市津久井地区を歩いた。ぐっと山懐に入った感じで、閑散とした地方都市の印象だった。
ルート橋本駅(バス30分)~津久井湖~中野神社~津久井郷土資料館~津久井又野公園(昼食)~尾崎萼堂記念館~実相院~祥泉寺~三ヶ木バスターミナル
道中見聞津久井湖畔(昔、湖はなかった)の
城山は375mのきれいな円錐形の山である。
そこに建っていた
津久井城は三浦一族の筑井氏の山城で、山頂には宝ヶ池などの湧水池を有していた。平時、城主と家臣およびその家族は麓の寝小屋で生活していた為、根小屋の地名が残っている。
湖畔に建つ
大蔵寺に寄った後、飲食店と自動車整備工場がよく目につく新道をひたすら歩いた。途中、総理大臣賞受賞の
津久井せんべい本舗に寄った。20種類中、一押しの
ブランデーせんべいは絶品だが、運転手は酔うので要注意。店裏のレストランのテラス席からの津久井湖の眺望は素晴らしい。
その後、旧道に入り、檀家が3軒という
宝寿禅寺(無人)と
中野神社に寄った。中野神社は出雲神社の系統である。出雲神社は太古から皇室と関係が深い。
かつて養蚕と林業で栄えた津久井地区であるが、旧道の中野商店街は多くがシャッターを下ろしていた。二階から「お兄さん、チョイと寄ってらっしゃい」式の飲み屋や撚糸会社が廃屋然としながらも、しっかりと建っていた。そのなか
清水酒造は9代目そして次の10代目が控えており健在である。
相模原郷土資料館を過ぎ、のどかな畑や住宅の道を進み、
津久井野又公園で緑の壁のような山を前に昼食。現在、林業は市が再生を推進している段階である。
尾崎記念館は明治、大正、昭和の大政治家
尾崎行雄氏の96年の生涯にわたる活動を展示している。東京市長として都市計画、水道拡張、鉄道公有化、日本橋再架、米国桜寄贈など未来を見据えた業績は多大である。記念館は尾崎家代々の屋敷跡に建つ。
近くの
実相院の奥の
八幡神社の
蚕影社(こかげしゃ)は養蚕が盛んであった証しである。
円蔵寺(無人)は
廻り地蔵で有名である。郷土資料館まで戻り、新道を行くとやっと大きなスーパーがあった。
この地区の現代生活の大変さを友人と話した。祥泉寺で整理体操をし、三ヶ木(みかげ)バス停までの長い坂を営々と登った。
バスで橋本まで戻る途中、前回の川尻石器時代遺跡をバス路線のすぐ脇で見た。