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津久井道中ギリギリ膝栗毛 その6 最終

取材日 2014年06月24日(火)

相模湖
相模湖
嵐山洞門
嵐山洞門
  ウォーク最終日、関東地方は大荒れの天気だったが、幸い神奈川県は午後3時頃までその圏外にあり、津久井道中はその時間ギリギリ無事に終わった。高い山々と深い峡谷の地形である。登ったり下ったりして、縄文、戦国、江戸時代の遺跡、ゆったりした村落、そして現在すたれ気味の娯楽施設を見た。梅雨空に燕が喜々と飛び交っていた。
ルート
橋本駅(バス50分)三ヶ木―道志橋―首塚―寸沢嵐石器時代遺跡―首洗いの池―相模湖林間公園(昼食)-正覚寺―鼠坂関所跡―相模湖
道中見聞
水面から100mの高さの道志橋を渡って津久井町から相模湖町に入る。相模湖町は人口が1万4千人と津久井町の半分である。山に分け入ると武田信玄が三増合戦(1569年)で勝利し北条方の首を埋めたといわれる首塚があった。建物のない浅間神社で、見晴らしはよいものの暗い雰囲気であった。ガイドが下見の際に、たまたま出会った地元の人に教えてもらった分かりにくい場所である。麓の首洗いの池とは大分離れている。急坂を下ると寸沢嵐(すあらし)石器時代遺跡があった。中央に六角形の炉が切ってある敷石住居である。
新緑を吹き抜けて来る風が気持ち良い相模湖林間公園で昼食。
正覚寺(しょうがくじ)は俳句寺ともいい、様々な人の句碑がある。
このあたりは内郷地区といい、家々は大きく、ゆったりした雰囲気の村である。大正7年柳田國男や新渡戸稲造達が調査に入ったが、特筆すべき民話などはなかった様子で「山寺や葱と南瓜の十日間」という國男の句碑があった。山の斜面100mに及ぶ滝つつじが有名である。
甲州街道の裏道だった津久井道に設けられた鼠坂(ねんざか)関所跡を過ぎ、廃業した大型レジャー施設を横切って進むと相模湖が見えてきた。昭和13年から22年にかけて国が強引に造った人造湖である。嵐山の麓が崩れないように造った長い嵐山洞門のわきを進み、相模湖大橋を渡るとゴールの相模湖公園であった。時は3時前、大粒の雨が落ちてきた。悲鳴をあげるお尻の筋肉を鞭打って駅までの坂を駆け上った。

津久井道ウォーク実行委員会の方々が1年がかりで準備して、初回のウォークであった。歴史、下見歩き、トイレや休憩場所、昼食場所の設定(雨天の場合の食堂の手配)などなど。
そのおかげで平均年齢68.5歳の参加者55人は健康,信仰、観光の3つの「こう」を享受することが出来たのである。
首塚

首塚

寸沢嵐石器時代遺跡

寸沢嵐石器時代遺跡

相模湖林間公園

相模湖林間公園

相模原市緑区相模湖町
勝野井 央子
シニアリポーターの感想

 全6回、雨に降られることなく、カンカン照りにも会わず、無事に完歩することが出来た。とてもラッキーかつ有意義なウォークであった。実行委員の方々に深く感謝申し上げたい。
内郷地区のスーパ―に寄った時、買い物したメンバーが「何て優しい店員さんでしょう!」と感激していた。きっと優しい人たちだったのでしょうね。味気ない応対の川崎のスーパー・・・でも、だから恥知らずのバーゲン漁りができるんじゃないかしらん。
 

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