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かわぽ散歩2 大山道“江戸から都へ東海道の裏道”

取材日 2014年11月29日(土)

子新地駅前大山街道案内板
子新地駅前大山街道案内板
今も残る蔵作りの家
今も残る蔵作りの家

  江戸時代に東海道の裏街道として整備された矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)、別名「大山街道」という。歴史の名残を残し多くの偉人を出ている二子宿・溝口宿野残す街道を歩いた。
前回の大貫家跡から5,6分歩くと右側に高津図書館と溝口緑地に出る、この緑地には国木田独歩文学碑・岡本かの子文学碑がある。国木田独歩の代表作「忘れえぬ人々」の中に「多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。其中程に亀屋といふ旅人宿がある。」とある、亀屋で明治30年2月ころ一泊し、書いたといわれている、後の昭和9年、亀屋の主人鈴木久吉の立案で碑が建てられた。平成14年に亀屋跡地から移された。
 少し行くと、今も残る蔵つくりのタナカ呉服屋がある、街道沿には蔵つくりの建物が残っており、江戸時代の面影が伺える。
 高津交差点の右手に高津小学校がある、校門横には平成24年に創立100周年140周年とある、江戸時代からの私塾から、明治45年に尋常高等高津小学校となり、以来100年、これ以前40年以上の歴史がある。道路横の植え込みの中に、今は懐かしい二ノ宮金次郎の像を見ることができる。
 交差点を過ぎると右に江戸時代から続く蔵つくりの灰吹屋薬局あり、正面の路地には子供文化センターや歴史案内・戦没者の碑などがある。
 次の交差点の右奥には明治14年に自由民権運動の民権結社である橘樹郡親睦会を結成し、私財をなげうって民権運動につくした鈴木忠一朗の実家上田家がある。
大山街道ふるさと館へ、
 街道の歴史が展示されている。職員の室住さんの説明によると、展示品の多くは豪商や賢人の子孫による寄贈が多いとゆう。また展示品の中に人間国宝第一号と云われている、陶芸家濱田庄司の作品が数点ある。濱田庄司は溝口で生まれ、幼少時代はふるさと館の隣の祖父の家である大和屋で過ごしていた。その案内板が街道に設置されている。
 道は二ヶ領用水大石橋、溝口神社、宗隆寺と続く。宗隆寺は高津学舎の地であり、濱田庄司が眠る、現在は毎年11月に御会式・万灯行列が盛大に行われている。道は栄橋へ、ここに庚申塚と大山道標があり、溝口宿もはずれとなる。この後はねもじり坂を上り、笹の原の子育て地蔵を見て梶ヶ谷駅へ着く。

国木田独歩の碑

国木田独歩の碑

大山街道ふるさと館展示室

大山街道ふるさと館展示室

二ノ宮金次郎の像

二ノ宮金次郎の像

大山街道 高津
望月正一
シニアリポーターの感想

 改めて、町並みを歩き、歴史に包まれた古き時代の多くを知ることが出来た。、出会った人々と街道の話を聴き感動の約2.7Km、3時間の旅でした。

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