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感動の市民劇 「華やかな散歩」

取材日 2015年05月09日(土)

惣之助と朔太郎 撮影 小池 汪
惣之助と朔太郎 撮影 小池 汪
朔太郎兄妹、伊藤葦天、惣之助 撮影 小池 汪
朔太郎兄妹、伊藤葦天、惣之助 撮影 小池 汪
 「川崎郷土・市民劇」第5作目は川崎生れの詩人 佐藤惣之助の半生を描いた「華やかな散歩」(小川信夫作、鈴木龍男演出―前進座)である。
開演前、終演後とも、実行委員の人と知り合いの観客が挨拶し合っていて、市民劇ならではの和やかな雰囲気であった。
「華やかな散歩」-昭和7年暮れから昭和17年晩春(惣之助死去)までー
第1幕 同人誌「詩の家」の5人による詩「華やかな散歩」の口誦で開幕
惣之助が萩原朔太郎に「詩を活字の世界から解放したい」と主張するところから始まる。妻花枝の病のために、純粋詩人の自負を抑えて、偽名で当時台頭したレコード界に歌詞を書いていた。花枝はそのことに悩みながら死ぬ。その後、朔太郎の妹、愛子に「あなたの歌は大衆の心を癒す力がある」と励まされ、二人は結婚する。晴れて本名で、古賀政男たちとのコンビで「赤城の子守唄」など次々にヒット曲を出し、花形作詞家となる。
第2幕 時代は二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争へと戦時色を強めて行く。
国家から国民の戦意を鼓舞する作詩を強要され、悩みながらも軍歌の作詞をする。しかし妻周子(結婚後、愛子から改名)の助言で抒情的な「湖畔の宿」を作詩すると、暗い世相の大衆から圧倒的な支持を受け、大ヒットとなる。
観どころ&聴きどころ
惣之助は、沖縄、そして中国、韓国、フィリピンを旅し、詩を書いている。
舞台は二段仕立て。佐藤家のセットの上段で、花枝の好きだった琉球舞踊や惣之助の思い出深い韓国のアリランが色鮮やかな衣装で幻想的に踊られた。
川崎の沖縄舞踊研究所や川崎ふれあい館・トラヂの会の出演である。
戦争の映像はその残酷さを想起させ、高峰三枝子などの歌声はノスタルジックだ。プロのギタリスト(古賀政男役)オペラ歌手(コロンビア社員役)の演奏は劇にすっかり溶け込んで素晴らしかった。
観客の感想
シニア女性「あまり期待してなかったが、感動しました。歌は母が歌っていたので懐かしかった」「歌は知っていたが佐藤さんの作詞だと知りました。国家への協力を強いられ悩んだ末、大衆の為に作詞したことに感動しました」 
シニア男性「戦時中は中学生だった。萩原氏との関係を知り他の詩人を身近に感じた」「これほど素晴らしい劇だと思わなかった」などなど。
佐藤惣之助
明治23年川崎砂子の元本陣の家の生れ。大正から昭和の初めにかけて俳句、詩、歌謡詩、随筆など多彩な文学活動をした。昭和17年死去。享年53歳。
市民劇は川崎の歴史や人物をテーマに公募で集まった市民がプロのスタッフと共に作り上げている創作劇で2006年に始まり2~3年ごとに上演されている。
琉球舞踊 撮影 小池 汪

琉球舞踊 撮影 小池 汪

韓国舞踊 撮影 小池 汪

韓国舞踊 撮影 小池 汪

フィナーレ 撮影 小池 汪

フィナーレ 撮影 小池 汪

多摩市民館
勝野井 央子
シニアリポーターの感想

 感動的な美しい舞台だった。
惣之助の詩は春風のように明るく暖かい。他の詩人たちとの交流を見ても、愛子の次の夫三好達治と比べても、温厚な常識人だったと思う。しかし、この劇の裏に、純粋詩であろうと歌謡詩であろうと、言葉を操り、詩を生み出す大きな苦しみと陶酔があっただろうことを思った。
 

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