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目からうろこの岡本太郎芸術

取材日 2016年03月04日(金)

生後数か月の太郎(資料写真・美術館提供)
生後数か月の太郎(資料写真・美術館提供)
岡本かの子文学碑 「誇り」
岡本かの子文学碑 「誇り」
 
 今年,岡本太郎は没後20年になる。それを記念して「岡本太郎の生涯と作品展」が開催された。高津市民館大会議室には、太郎の生涯に由来する資料と,主な作品が写真で展示された。 第一部に岡本太郎美術館学芸員の大杉浩司さんによる同展の作品解説特別講座が開かれた。
 
高津区二子(区内にある地名)と太郎の関係
 解説は太郎の家系図から。江戸っ子で漫画家の父一平、富豪大貫家の娘で奔放に生きた作家の母かの子。一人っ子の太郎は大いに両親の影響を受けて育つ。戦争で青山の生家は丸焼けとなり、着の身着のままに復員した太郎は二子の大貫家に身を寄せた。衣食住からアトリ エまで支援を受け、終生二子の大貫家とは家族・親族としての交流が続いたという。
 
岡本かの子文学碑《誇り》
 1962年かの子の生家近く、二子神社境内に制作された。太郎はこの巨大モニュメントに川を表し、多摩川の土手に立ち、ひらりと身をか わすかの子の姿を映した。基壇は丹下健三の協力を得、除幕式には市長はじめ各界の著名人と地元町内会婦人会など1500余名が参列し 盛大なものになった。碑の下にはかの子が信仰していた水晶の観音像が収められている。
 
原色を多用する太郎の芸術  わびさびのDNAをもち、印象派の絵が人気の日本ではなじみにくい色調の抽象画である。その太郎の絵画 を分かりやすく解説した 大杉氏は、色使いは彼のあふれ出る情念の表現ととらえる。
一方で太郎は、縄文土器を歴史資料から芸術品として世に広めた功績を残した。素朴で力強い形状は彼の造形物にも影響している。こう した個々の作品の解説に、受講者は太郎の大胆な世界に気づき、目からうろこが落ちたように、なるほどとうなずいた。今や世界 の「オカモト」となった彼を、直接テレビやコマーシャルで見聞きしている中高年層は「芸術は爆発だ」というキャッチフレーズも知っている。 なにやらいつのまにか得をしている世代のようだ。
 
 
【大杉浩司(おおすぎひろし)プロフィールと著書】
川崎市岡本太郎美術館学芸員 岡本太郎記念館客員研究員
1960年広島県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。川崎市岡本太郎美術館の設立準備から学芸員として勤務し、川崎市民 ミュージアム学芸員を経て現職。主な展覧会「太陽の塔からのメッセージ」「明日の神話完成への道」「まる裸の太郎」 「ゴジラの時代」他。 
著書「岡本太郎にであう旅」
 
【岡本太郎が愛した沖縄展】:岡本太郎美術館の企画展近日公開
岡本太郎が沖縄で撮影した写真展を中心に、沖縄訪問の影響がと思われる造形作品を紹介し
彼にとって「沖縄」とは、何であったのかを考察します。
期間:4/23(土)~7/3(日)休館日:月曜日5月8日(金)
 
 
制作中の「誇り」(資料写真・美術館提供)

制作中の「誇り」(資料写真・美術館提供)

 代表作が生まれたパリ時代

 代表作が生まれたパリ時代

高津区民祭15回記念テレホンカードのための陶版画のコピー写真

高津区民祭15回記念テレホンカードのための陶版画のコピー写真

高津市民館  溝ノ口駅より徒歩3分
石渡一美
シニアリポーターの感想

岡本太郎はメディアの寵児として今のシニア層に強烈な印象を残している。「光がわけへだてなくさんさんと注ぐ」がごとくアートの展開を信条としていたという。販売商品の景品や多様なグッズなど、希少品に価値を見出す大衆は彼の芸術性の高さに気づかず、世界からの評価で気づくことになった。そういえばあのウィースキーグラスは?などと思い当たる人が多いかもしれない。

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