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情緒あふれる多摩川音頭

取材日 2011年11月26日(土)

多摩川音頭
多摩川音頭
丸山教本庁にある多摩川音頭の歌碑
丸山教本庁にある多摩川音頭の歌碑
川崎市立多摩図書館と稲田郷土史会主催による多摩区郷土史の入門講座が多摩市民館で3回にわたり開催された。 
1回 多摩川音頭あれこれ     稲田郷土史会 鶴見邦男氏 
2回 津久井道を歩く        稲田郷土史会 手塚七五郎氏 
3回 終末期古墳としての根岸古墳 専修大学教授 土生田純之氏
多摩川音頭は昭和4年、稲田村(菅、中野島、登戸、宿河原、堰)青年団の願いにこたえてつくられた郷土民謡である。作詞は北原白秋で、作者をして、静岡のチャッキリ節と並ぶ名曲であると言わしめた。歌は31節に及ぶ大作である。31節全部にわたって丁寧な解説がされた。その中のいく節かを披露する。
第4節            さらす調布(てづくり) さらさらながれ
なぜにあの子が
なぜにあの子が かう可愛い
麻を川にさらして布を作っていた様子を唄ったもの。麻生、調布、砧(麻を柔らかくするため叩いた道具)などの地名もこの辺りが昔、麻の産地であったため生まれた。
 第26節     酒は枡のみ 枡形山よ
山の横あな
山の横あな ほらばかり
枡形山、長者穴を唄ったもの。近くに黄金を埋めたという伝説があり、これがほらであるという言葉と掛けている。
いずれも ちりへうと ちりへうと という鮎鷹(コアジサシ)の泣き声をまねた囃子ことばが続く。それが曲で聞くとまことに耳にここちよい調子である。
2回は津久井道を実際に歩いて歴史を学んだ(写真参照)。
3回は根岸古墳をとおして5~7世紀の関東地方の文化の流れを勉強した。
稲田郷土史会会長の鶴見邦男さんよりコメントをいただきました。
『 多摩川音頭は知れば知るほど奥が深く、80数年たった今でもそこに込められた新鮮な思いを感じ取ることができます。歌詞の中にはふるさとの情景、風物、名所旧跡、産物、地名などが余すところなく盛り込まれ、良く特長をとらえて表現されています。「歌でつづる郷土の歴史」とも言うべき名曲であると思います。布をさらしていた万葉の昔に思いをはせ、多摩川の清流や連なる多摩丘陵の情景、白く咲き乱れる梨の花にも、当時の農村のくらしを想像していただければと願って話をしました。この歌がいつまでも歌い継がれていくことを願ってやみません。 』
光明院の本堂は旧登戸小学校の玄関

光明院の本堂は旧登戸小学校の玄関

登戸稲荷社の龍の彫刻

登戸稲荷社の龍の彫刻

登戸稲荷社社殿壁面の鏝(こて)画

登戸稲荷社社殿壁面の鏝(こて)画

橋本敏次
シニアリポーターの感想

話をする方々も参加者もみんな楽しそうであった。それも地元を愛するがゆえと感じられた。後日リポーターは枡形山公園と長者穴を歩いて思いを新たにした。又12月4日狛江で開催された「郷土芸能フェスティバル」で多摩川音頭が踊られたので、踊りの方も見ることができた。編み傘の上に鮎鷹が載っていてなんとも愛らしかった。

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