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戦争体験記(6) 広島ー1

取材日 2023年06月11日(日)

     アレ!なんだ!
     アレ!なんだ!
        洗濯日和
        洗濯日和
   
  40K離れた岩国(山口県)から見た恐ろしい雲の形がピカドンだった。
 
     
              原子爆弾の炸裂 
        1945年8月6日(月曜日)午前8時13分。空襲警報発令。その2分後、 原子 爆弾は炸裂。閃光と高温に包まれた広島の町は一瞬に消え,地獄と化した。 (広島HP、一部抜粋)


          冬のセーラー服と皮靴!
     当時、多くの女学生は
学徒動員に駆り出された。爆心地から2㎞範囲に住む、みさとさん(15歳)もその一人。たまたま工場は休みだった。

        みさとさんは庭掃除をしていた。 母は洗濯物を干していた。母と空を見
      上げ「B29が飛んでいるね」と何気ない会話をした。その後、す ぐ大き
      な炸裂音!
     
           自分の家に爆弾が落ちたと思い目を伏せ、次に目を開けたら真っ黒。
         気が付くと縁側に立っていた。たまたま縁側で虫干ししていた冬の
        セーラー服を取りあげ咄嗟に着る。下駄箱から皮靴を取り出し、防
        空頭巾を被って避難所の小学校に向かう。
          学校方面は煙が上がっている。第2救護所に向かうが、けが人が一杯。
         幸い無傷だった自分は第3救護所へ向かう。途中の道には、手をたれ さ
        げて歩いている人。はだしの人。「水をくれー」「水をくれー」と叫ぶ

          移動の際にできた足指の痛みは、今も思い出す!セーラー服は今も捨て
         られずに持っている。
          命を守ってくれたセーラー服と皮靴に感謝しながら92歳を生きる。
                        92歳を生きる

  92歳を生きる

砂田 紘子
シニアリポーターの感想

被爆された方の娘さんから話を聞き始めたのは3月末だった。書き始めたのは4月5月6月と延びてしまった。悲惨な実態は多々長崎と重なり書くのが重かったです。

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